2010-08-02 第175回国会 衆議院 予算委員会 第1号
そして、昭和十六年の夏、近衛総理や東条陸相や、居並ぶ閣僚の前でその結果が発表されました。 詳細は申しませんが、そこのシミュレーションの結果はほとんど実際と同じことでした。ソ連の参戦あるいは原子爆弾の投下、それ以外はほとんどがそこのシミュレーションのとおりになったのです。日米戦わば必敗です、この戦争は何があっても避けねばならない、そういう結論が出ておりました。
そして、昭和十六年の夏、近衛総理や東条陸相や、居並ぶ閣僚の前でその結果が発表されました。 詳細は申しませんが、そこのシミュレーションの結果はほとんど実際と同じことでした。ソ連の参戦あるいは原子爆弾の投下、それ以外はほとんどがそこのシミュレーションのとおりになったのです。日米戦わば必敗です、この戦争は何があっても避けねばならない、そういう結論が出ておりました。
近衛内閣の後、即時対米開戦を主張する東条陸相に組閣を命じたのもまた天皇ではないでしょうか。近衛氏でさえ、天皇が平和的対米交渉で頼りにならなかったと、次のように述べております。これは、「敗戦日本の内側——近衛公の思い出」と題する時の内閣書記官長富田健治氏の著書であります。